なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

映画『風の谷のナウシカ』・『もののけ姫』感想

映画『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』の感想を短めに。ネタバレあり。


『風の谷のナウシカ』 特報【6月26日(金)上映開始】


もののけ姫 予告篇


私はジブリに疎くて、この2作品は初見だった。両方とも似たテーマだっただけに、宮崎駿監督の基本的なメッセージがひしひしと伝わってきた。続けて見て本当に良かった。どちらかというともののけ姫の方が好き。『風の谷のナウシカ』は、途中まで深刻な争いが続いたわりにあっさりとして楽観的なラストだという印象を受けた。それはそれで良かったね…となるのだけど、『もののけ姫』はより状況が複雑で、シビアな内容だった。「生と死の輪環」・「自然と人間」・「憎しみの連鎖」といったテーマがはっきりと示されていて良かった。エボシのように、村の人たちから見れば尊敬を集める指導者だけれど、森の生き物から見れば残酷な破壊者というキャラクターをぱっと理解できるほど鮮烈に描けるのが凄い。

それに、監督の人間の生命に対する考え方が私にはしっくり来た。ジコ坊の「人はいずれ死ぬ。遅いか早いかだけだ」という台詞が印象的だった。

私はだいぶ前から、「生」と「死」とは生きている人間には全くかけ離れたものに見えるけど、実は紙一重で、何かの拍子にふいに越えられる程度の境しかないのではと考えてきた。人はついうっかり、たまたま生まれたり死んだりするのだと。そう考えるからなのか、人生の意味や自分の使命といったものはあまり気にしていない。人間は良くも悪くも、生きていつか死ぬだけのちっぽけな存在だと思う。人間が、地球の中で何らかの使命を託された特別な存在とはあまり思えない。それでも私は「生きているからには、何か社会のために良いことをしたい」「後悔の少ない人生にしたい」と望んで生活している。一方で、何も成し遂げられなかったとして、「自分は無価値で不要な存在だ」とは思わない。あらゆる人間が、一番遠くから見れば皆ちっぽけなんだから、気負わず生きたいと思っている。

Wikipediaの「もののけ姫」のページに、宮崎駿監督が「生きる」ことへのイメージを語った発言が載っている。

ja.m.wikipedia.org

孫引きになるけど、下記の部分を読んでとても腑に落ちた。

「百億の人口がねぇ、二億になったって別に滅亡じゃないですからね。そういう意味だったら、世界中の野獣は、もう滅亡、絶滅していますよね(笑)。そうですよ。元は百匹いたのに、今は二匹しかいないなんて生きもの一杯いますからね。そういう目に、今度人類が遭うんでしょ、きっと。でもそれは滅亡と違いますね。僕等の運命ってのは、多分、チェルノブイリで、帰ってきた爺さんや婆さん達が、あそこでキノコ拾って食ったりね、その『汚染してるんだよ』って言いながら、やっぱり平気でジャガイモ食ってるようにして生きていくだんろうなっていうね…まぁ、その位のことしか言えないですよね。それでも結構楽しく生きようとするんじゃないかぁっていうね、どうも人間ってのは、その位のもんだぞって感じがね…」 

もののけ姫』では、森のシシ神が触れたものが植物であれ人間であれ、一瞬で死んだり息を吹き返したりする。巨大なデイダラボッチが触れるものすべてを死なせていくシーンは「無」を感じさせるし絶望感があるけど、どこかで当然のものを見ているような静かな諦念も感じられる。上映前・後に上記の監督のコメントを読んだので、「ああ、そういうことか」という感じがした。違う作品だけど、「いつも何度でも」の「生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街もみんな同じ」という歌詞も思い出された。