※人の死について書いているので、精神的に余裕のある方だけお読みください。
私が休職し始めたときから数年間お世話になっていた病院の先生が、病気で亡くなった。2022年に、初診で当日診てもらえるところを必死に探して、なんとか見つけて行ったのが最初だった。私は子供の頃から精神が不安定で、いつか休まなければと思いながらグラグラ揺れながら、20数年生きてきた。その病院で先生に休職を勧められ、初めて本格的に精神疾患の治療をした。そして、私は「今までで一番どん底」だった翌年、「今までで一番幸せ」と思える年を過ごせた。30代になって初めて、精神的に健康な暮らしがどんなものなのか、わかったと思う。それは間違いなく、先生のおかげだった。
一番ひどいときは週1だった診察も、今は3週間に1度か月1ぐらいになっていた。薬も体調もほとんど変化はなく、経過観察のような感じだ。体調はどうか、睡眠や食欲はどうか簡単に聞かれた後に、私の好きな野球の話を少しする。そんな感じだった。地元を離れて一人暮らししている私にとっては、ここ数年親よりもよく会っている存在だった。
8月に診察を受けたのが最後だった。次に行ったときは、先生が体調不良で入院しているからと代理で先生の家族の方が来ていた。以前にも先生が休まれたことがあったが、今回は期間が長く心配していた。なんとなく、あまり状態が良くないのかなと思っていた。それでも、いつもどおり診察をしてもらって、1ヶ月も経たないうちに亡くなられるとは思っていなかった。次に会ったら「阪神、優勝しましたね」と笑いながら言われるのだろうと思っていた。
定期通院が終わったら、お礼の品と手紙を送ろうと思っていた。直接品物を差し上げると断られるかもしれないし、手紙は通院中に渡すのはちょっと気恥ずかしい。そう思っていたけど、早く渡しておけばよかった。お礼の言葉を何度言えただろう。全然言っていなかったかもしれない。後悔ばかりだ。もう先生には手紙を読んでもらえない。
最近は健康状態も良く、診察で他愛ない話をしていた。だから最後の診察で何を話したのか全然覚えていない。ただ、先生の手首に前回の診察ではなかった赤い湿疹があって、どうしたのかなあと思ったのを覚えている。それが病気と関係あったのか、アレルギーか何かだったのかはわからない。ただ変わったことはそれだけだった。
亡くなる前日に代理の先生に処方の相談をすると、(主治医の)先生に電話で確認してみると言われて数時間待った。亡くなる前日にも患者の処方についての相談に答えていたのかもしれない。ひょっとすると、別の精神科の先生が対応したのかもしれないけれど。どちらにしても、先生がぎりぎりまで仕事をされて、亡くなられたのは確かだ。先生は最後まで穏やかな、いつもどおりの先生だった。
休職中、先生に言われた言葉をこのブログに何度も書き留めていたのを見つけた。こういうときにもブログは役立つんだな。最初は本人に読んでもらえないお礼の手紙など意味がないと思っていたけれど、ご家族に宛てて、先生へのお礼の手紙を書いてみるつもりだ。