なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

ファム・ファタールもの

最近、谷崎潤一郎原作の映画「卍」を見た。少しネタバレあり。


【1964年版】卍(まんじ)予告篇

展開は二転三転するように見えるけど、谷崎潤一郎的なご都合主義に満ちていて、彼の作品を読んだことがある人なら予想できる結末に至る。登場人物たちがファム・ファタール的な女性に支配されてめでたしめでたしという話。
若尾文子さん演じる光子、ボリューム満点の髪の毛といい派手な化粧といい異形で美しい。あと岸田今日子さんと船越英二さん演じる夫婦がコミカルで良かった。船越英二さんは昭和の二枚目俳優らしい端正で濃いめの顔立ち。妻の園子を光子から引き離すつもりがあっという間に光子に籠絡され、「僕にもパッションがあったんだ」と言う。全体的にセリフの勢いやセンスが良くて笑ってしまう作品。
谷崎潤一郎ファム・ファタール物はいくつか読んでいて、面白いんだけど、あとで少しもやもやする。谷崎作品に限らず、ファム・ファタール的な登場人物って読んでる(見てる)最中は印象に残るけど、内面は空虚な感じがする。だからこそ、見ている側はファム・ファタールに色んな願望を投影できて没入しやすいのかもしれないけど。映画『胸騒ぎの恋人』なんかだとオム・ファタールだけど、構造は似てる。ファム(オム)・ファタールの内面はわからなくていいもので、むしろ翻弄される人たちの恍惚や葛藤がメインなんだろう。谷崎作品の場合は、「ああ、こういう女性に支配されるの最高(経済的な庇護を与えていて、社会的に地位が上なのはあくまでも自分だけど)」みたいな書き手の願望が、空虚なファム・ファタールを通して透けて見える感じがする。「AKBの曲の歌詞かわいいけど、どうしても秋元康がちらつく」現象と似ているのかもしれない。なんだかんだ言って、ファム・ファタール物は映像化したときに面白いし魅力的だから少しくやしい。太宰治のダメ男物なんて、映像化されると腹が立つのに。