なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

ツイッターをやめてからの話

少し前にツイッターをやめた。やめてよかったと思う。でもあらゆる人にやめたほうがいいよ!と勧めたいわけではない。ただ、所感を書くだけ。

まず、やめた時点での私のSNSの利用状況から。
LINEは別として、よく見ているのはツイッターだけだった。フェイスブックは数年前から更新していない。インスタグラムは見るだけのアカウントがあったけど、使わなくて消した。
ツイッターには2つアカウントがあった。どちらも10年弱使っていた。両方に鍵をつけていて、フォロー数も高校or大学時代の友達がメインで、少なかった。呟く頻度はここ数年減ってきていたが、まちまちで、やめる直前はわりと頻繁だった。どちらかというと他の人の呟きを見たり友達と会話したりするほうが多かった。

やめたきっかけは、些細なことだった。
ツイッターを何年もやっていると、過去の呟きが恥ずかしくなる。まとめて呟きを消そうかなと思ったけれど、少し手間だ。別にそこまでして続けなくてもいいか、と思った。そしてアカウントを消した。やめる告知をすると寂しくなりそうなので、しなかった。
こう書くとあまりにも唐突な感じがするけど、そもそも以前からツイッターをやめたいと思っていた節はあったし、やめてもいい状況も整っていた。思いつくままに羅列してみると、こんな感じ。
・フォローしている友達の他の連絡先を知っている(ツイッターだけで交流している人がいない)
ツイッターで新たに交流を広げる気がない
・特定の人のツイートを見るだけなら、アカウントがなくてもできる
・アプリはすでに消していて、ブラウザで見ているので快適じゃない
・ブログで長い文章を書くほうが楽しくなってきた
・気軽に愚痴を書けるが、それがストレス解消になっていない。かえって後悔して消すこともある
・RTやリプライ、検索結果、いいね欄を見て心が重くなることが多い。色んな人がいるので、予期しないタイミングでショックを受ける(が、見てしまう)
・有益な議論や批判が、RTを通じての晒し上げや袋叩きに陥りやすい構造が嫌
・へこんでいるときなど、見ないほうがいいときについ見てしまう
・内容の良い悪いにかかわらず、色々な情報や感情が流れてきて疲れる
・総じて心が乱される
ツイッターを見ている時間で他のことができそう

もちろんやめたくない理由もあった。ツイッターのアカウントは、消しても30日ぐらいは復活できる。だから消した直後は、以下のようなことが頭をよぎった。
・いいね欄にうれしかったリプライや、色んな好きなツイートが数千件ある→今でも惜しい
・鍵アカのツイートは見られなくなるので寂しい→今も寂しい
・自分もたまには良いことを書いている→肝心なことは覚えているからまあいい
・自分とは違う視点の意見を見て、新しい問題意識がめばえることがある。無関心だった話題に触れられる→今も惜しい。ただ、色々な視点から物事を見る姿勢はある程度身についた。重要な話題は、その他の方法でも追える
・いつも面白いツイートやお役立ちツイートがある→やめたら見ないからあまり関係ない
こんな風に、長い間使っていたので寂しい気持ちはあったけれど、やめたい理由のほうが多かった。

やめてからの状況や感想をざっと並べてみるとこう。
・やっぱり寂しい
・予期せぬタイミングでショックを受けることが減り、楽になった
・友達から少し残念がられた
・友達の近況をツイッターで見ていないので、会うたび新鮮な気持ちで話せる
・ネットでしか知らない好きなアカウントのツイートはたまに見る
ツイッターを見ないから時間を有効に使えるとは限らず、くだらないゴシップを読んで時間をつぶしがち
・元々テレビもあまり見ないので、情報が減ったと感じる。ニュースや新聞、本など、他の媒体で情報を得ようとし始めた
・色んなおすすめ商品ツイートを見なくなったので、物欲が減った
・余暇の時間が比較的ゆっくり流れる。自分主体の時間軸で動いている気がする
・やたらネットフリックスを見がち
・仕事や今までの友達関係以外の交流に興味を持ち始めた
・寝る前にツイッターを見なくなった。今も不眠気味だけど少しだけましになった
・やめてみると、意外とツイッターを見たいと思わない

今書いていて初めて気づいたけど、日頃漠然と感じていたよりも変化が大きいな。私の中での「ツイッターでやりたいこと」がほとんどないのに、なんとなく続けていたんだろう。
友達の中には、積極的にツイッターを使っていた時期に仲良くなった人たちもいて、トータルで見れば使ってよかったなと思う。でもこれだけ長く続けていたら、自分の環境や人となりも変わるし、やめるタイミングが来たんだろう。すっきりした。