なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

映画『最高に素晴らしいこと』感想

ネタバレあります。精神的な病の話などに触れているので注意。映画『少女邂逅』の内容にも少し言及しています。


エル・ファニング、ジャスティス・スミス出演『最高に素晴らしいこと』予告編 - Netflix

事故で姉を亡くしたショックからふさぎ込んでいるバイオレット。ある日事故現場に行き、不意に自殺しそうになっていたところをクラスメイトのフィンチに助けられる。フィンチはそれ以来粘り強くバイオレットに話しかけ、一緒に「地元の名所を巡って発表する」という課題に取り組む。最初は冷淡な態度をとっていたバイオレットも、フィンチと心を通わせて付き合うようになる。ところが、フィンチには時々音信不通になり姿を消してしまうくせがあった。彼は幼少期に父から暴行を受けたことなどが原因なのか、情緒不安定で、そうした自分のことを持て余していた。姉やバイオレット、カウンセラーのこともうまく頼ることができず、フィンチはバイオレットとの思い出の場所で自殺。バイオレットはショックを受けながらも、フィンチに助けられたことを感謝するのだった……という話。

ネットフリックスらしからぬ暗さの本作品。フィンチについてもっと時間をかけて描いてほしかったとか、結末が悲しすぎるとか、「姉を亡くしたばかりの彼女を遺して死ぬんかい」とか「アメリカ映画のプレゼンやスピーチで泣かせようとしてくる流れ飽きた」とかいう気持ちはあるものの、心に残る映画だった。

ネットで感想を見ていたら、「バイオレットは姉が亡くなったからわかるけど、フィンチが面倒くさい。親のトラウマがあるようだけど原因がよくわからない。死ぬ必要ある?」といった感想があった。たしかに、フィクションとして完全に割り切って見ればそうした感想も出てくるのかもしれない。しかし、現実に「死んでも仕方ない」と万人が納得するような理由などあるだろうか。そもそも「自殺するほど辛い理由」を身近な人に正確に説明でき、助けを求められる人は生き延びる可能性が高いのではないか。この映画のフィンチは自分の状態をうまく打ち明けられず、バイオレットや姉が不器用ながら助けようとするが心を開けない。そしてある日突然死んでしまう。これはバイオレットから見れば、「自分を助けてくれた人を助けられなかった」という残酷な現実を突きつけられたことにもなる。

しばしばフィクションには、登場人物の言動の論理的な整合性が求められるけれど、現実はそうも行かない。友達や恋人、家族など深い関係になればなるほど、「与えられたぶんだけ与える」ことが難しくなるように思う。また、そうした深い関係の中であまりに「ギブアンドテイク」を意識しすぎるのは、不健全だとも感じる。

この「助けてくれた人を助けられない」という事象については、映画『少女邂逅』を見て以来強く意識するようになったんだっけ。これも切ない映画。

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