なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

今村夏子『こちらあみ子』と太宰治『燈籠』

『こちらあみ子』はまだ軽く一回読んだだけなのだけど、感想を書きとめたくてたまらなくなるような作品だった。ネタバレあり。

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

『こちらあみ子』は少女あみ子の視点でつづられる。この作品は友達から薦めてもらって、「主人公が何をされた、という描写はあるが何を思ったかは直接的には描かれていない。一風変わった手法」という事前の説明があったので、とても読みやすかった。

読み終えてから本の紹介を見てみると、あみ子が発達障害者であることへの言及が多かった。なるほどそういうことか、とは思ったけれど、私の印象に残ったのは別のところだった。あみ子は周囲の気持ちをあまりくみ取ることができず、しだいにいじめられるようにもなるが、そのことを客観的に「いじめだ」と理解して対応する様子はない。ここにあみ子の特異性があるとはいえ、「一人の人間から見えている世界」って多かれ少なかれこんなものではないだろうかとも思う。

それから、「初対面の日、母は幼い兄妹にこの質問をした。」という一文は、息をつくほどすばらしく洗練されている。(私が読み逃しているのでなければ)あみ子の家族の構成が、このとき初めて明確になる。

この小説の終盤までは辛いな、残酷だなという感じがしていたのだけど、坊主頭の男の子が最後まであみ子に優しく話しかけているところに、ささやかだけれど大きな希望を見た。あみ子はその坊主頭の男の子にさしたる関心も抱かないし名前も覚えていないのだから、それを世界の残酷さととらえることもできる。でも、坊主頭の男の子の気持ちはこの作品で賞賛されることも否定されることもない。著者の今村さんがどういう意図で書いたかはわからないが、私はそこに良い/悪いを判断しない形での人間への肯定があるような気がした。どこか太宰治の燈籠を思わせる作品。世の中の残酷さに見合わないくらい小さいけれど、たしかに光がある。

(アマゾンのレビューによると、著者は太宰治の燈籠が好きらしい。そうだとするとかなり納得がゆく。)

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