なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

カネコアヤノと「間違い」

最近カネコアヤノちゃんについて書くことが多い。聴いている頻度が高いから、自然とそうなる。聴いていてなんとなく思ったのが、彼女の歌では「間違ってないし、間違ってもいいよ」というメッセージが重要なのかな。直接的にそう言っている歌詞をいくつか見つけて。 たとえば、「ゆくえ」の「失敗するよりさよならする方が私は苦手」。「ぼくら花束みたいに寄り添って」の「間違ってないよと こちらへおいでと手招き」。「燦々」の「間違っても別に構わない」。他にもそんなニュアンスの歌詞があって、とても自由な気持ちになれる。「間違い」「失敗」について書くということは、根底に完全に自由ではない現実、「間違い」とされることへのためらいがあると思うんだけど、そこが好き。全く人のこと気にならないし生まれつきの自由人だ!っていうのとは違う、悩んでもがいている姿が見えるような気がする。

このインタビューで本人が「私はかなり気にしいで受け身だから、自分を説得するつもりで書いてるところもある」と話していて、納得したり親しみを感じたり。