なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

又吉直樹・武田砂鉄『往復書簡 無目的な思索の応答』感想

この本は、今年読んだ本の中で一番と言っていいくらい(そんなに読書量は多くないが)おもしろく感じて、感想を書きあぐねていた。本には筋書きや内容の面白さのほかに文体の個性などもあり、魅力を伝えるのが難しい。とにかく読んでもらったほうがよいが、私なりの感想を書く。

アマゾンの内容紹介や本のタイトルから伝わってくるとおり、この本には明確なテーマや決まった展開はない。往復書簡の形式にはなっているものの、対話というより、お互いの書簡にヒントを得て思考したことを自由に書いている感じだ。日常の人間関係や創作活動のなかでの違和感や気づきを又吉さん、武田さんが丁寧にすくって言葉にしていく。大袈裟に笑いをとろうとしているところなど一つもないのに、笑える話がいくつもある。
本の中でとくに印象的だったのは、又吉さんが自著に対して納得のいかない批評をした文芸評論家について、「小説の中でしか生きられないお勉強家の評論家」と表現したところだった。この文芸評論家の方は、調べてみるとたしかに「お勉強家」と言われるに相応しい立場にあり、大学教授でもある。私は、学者や専門家をそうでない人と区別し、二項対立的に「勉強ばかりして頭の固い学者のお歴々」と揶揄する表現がとても嫌いだ。気持ちはわからなくもないのだが、その二分法はあまりにも陳腐で、かっこ悪いと思ってしまう。
又吉直樹のヘウレーカ!」などで数々の学者や専門家と関わってきた又吉さんが、上記のような表現をするのは意外だった。又吉さんがふだん学者や専門家の人たちに敬意を持って接しているのを知っていたので、「お勉強家の評論家」という表現に幻滅はしなかった。むしろ、彼がこれまで信じてきたものや表現者としての矜持がそうした強い表現につながったのだろうと感じた。それは、この本で「なにかを表現するうえで信じられることは、自分に発言する場や、文章を書く場が与えられているということだけです。(中略)場が与えられている限り、すべて自分の好きなようにやります。つまらなければ表現する場は奪われるはずですし、そういう世界であってほしいと願っています」と語っている部分にもよく現れている。
そしてまた、又吉さん・武田さんの疑うことを忘れない姿勢が二人のやりとりを良いものにしていると思う。又吉さんは書簡のやりとりをした感想として、「経験や少しの知識で反応するのは仕方ないにしても、その後さらに考えて辿り着いた答えらしきものさえも、まだ疑えるということを改めて教えていただきました」と綴っている。こうした疑いや迷い、答えの出ない状態を厭わない著者のスタンスが、私にはとても心地良かった。