なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

キングオブコント2020

ジャルジャル優勝おめでとう!


『キングオブコント決勝でやったネタ「空き巣するのにタンバリン持ってきた奴」をする奴』ジャルジャルのネタのタネ【JARUJARUTOWER】


『キングオブコント決勝でやったネタ「野次ワクチン」をする奴』ジャルジャルのネタのタネ【JARUJARUTOWER】

普段毎日youtubeで自由にやっている二人がお笑い番組に出ていること自体珍しく思えた。福徳さんが優勝直後に「泣くな!」って浜ちゃんにツッコまれているところや、「タンバリンがうるさかった」という松ちゃんのボケに後藤さんが返しているところなど、よく見るバラエティーの光景の中心にジャルジャルがいることの不思議さがあった。
本人が「若手が輝く大会で自分たちが出るのはどうか」という葛藤があったと言っているけど、やはりジャルジャルの優勝には「夢がない」「そろそろ優勝させてやるかという忖度。点が高すぎる」といった批判があった。それこそM-1でのサンドウィッチマンみたいな逆転劇ではなく、1000万円をもらっても「家族に人間ドックをプレゼントする」(福徳さん)という現実的な案が出てくるぐらいには彼らは売れている。
それでも、あまりテレビ向きではない芸風を守りながら賞レースに挑戦し続けた二人がやっと優勝を手にしたことが、本当にうれしい。でもジャルジャルはネタ以外では普通だから、バラエティーのオファーはさほど増えないんだろう。そこも好き。
改めておめでとうございます。

今月の野望がついえる

 

komeuso.hateblo.jp

 今月は週1本ぐらい映画を見たいと言っていたけど、そうもいかなかった。これから10月に入るまでに意を決して目標を達成することもできなくはないが、思った以上にばたばたしていて難しい。

それでも朝ドラは毎日見ているし、カネ恋(と恋カネ)にはまったし、最寄りから少し離れた駅で降りて歩く日もある。野望はついえたけどこれはこれでいいか。

映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』感想

だいぶ前に見たのだけど、ネットフリックスに入っていることに気づいたので。感想というよりおすすめか。


11/4(土)公開『Ryuichi Sakamoto CODA』予告編

楽家坂本龍一のドキュメンタリー。教授の内面を掘り下げて……というよりは制作風景や被災地での活動などを追って淡々と進む作品。時々教授が静かに語るシーンがある。自然の音を録音するために遠方まで出かけていくシーンや録音した音源を確認するシーン、最後にピアノを弾いている姿などアーティストの凄みを感じる。
なんといっても劇中に流れる音楽が坂本龍一の曲で、素晴らしいものばかりなので聴きごたえがある。背筋が伸びるような静謐な迫力をもった作品。

『おカネの切れ目が恋のはじまり』1話感想

ドラマ「カネ恋」1話を見た。連ドラをちゃんと見るなんて久しぶり。でも4話までしかないのだよね。寂しい。ネタバレあります。


【WEB限定】松岡茉優×三浦春馬 9月スタート!!新火曜ドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』スペシャルインタビュー!!【TBS】

1話を見終えてからこのインタビューを見ると、そういうことかと納得する部分が多々あった。 とくに、三浦さんが「悪く言えばドラ息子の猿渡のポジティブさを、嫌味なく演じるのが難しいポイント」と話していたところ。この点に関して、見事に成功していて、嫌われかねないキャラクターをかわいらしく演じていると思った。なかでも家が貧乏で出張費を横領していた板垣くんが自分の境遇を嘆いたのに対して、「ポジティブ大事だよ!」と励ますシーンでも(玲子のツッコミが入るとはいえ)嫌な感じはしなかった。

また、玲子のキャラクターや、北村匠海くん演じる板垣くんが玲子と仲良くなる展開は映画『勝手にふるえてろ』を好きな人間にはうれしい。板垣くんは振られ役だけど人気出るんだろうな……と思っていたら、スピンオフドラマの主人公になっていた。Paraviに入るしかないのか。見ます。

www.paravi.

映画『糸』感想

ネタバレあります。この映画が好きな人やまだ見ていない人にはおすすめできない感想。


映画『糸』予告【8月21日(金)公開】

平成元年に生まれたれんとあおいは中学生のときに恋に落ち、様々な試練を経て別々に暮らしていたが、令和が始まる瞬間に再会する。運命の赤い糸ってあるんだね〜という話。

この映画の白眉は菅田将暉と言っていい。演技が本当に素晴らしく、若干くさいセリフでもきちんと感情がこもってきこえる。それと、脇役の二階堂ふみも友情出演ながら印象深い。また、この映画は「泣ける」展開が満載で、たしかに「れん君とあおいちゃん幸せになれてよかったね」という気持ちになる。私も泣いた。

しかしそれと同時に、この映画は私の中で最初から最後までイライラさせられる映画だった。台詞と演出がクサいのはさておき、とにかく「国や地方の社会福祉社会保障セーフティネットがまともに機能していないのを個人の善意や愛で補っている」点が一貫していて、やりきれない気持ちになる。

とくに小松菜奈演じるあおいちゃんは、養父から虐待を受ける環境から逃げて東京に引っ越す。いかにも悪そうな養父が散らかった部屋であおいを殴り、部屋の隅で水商売風の派手な母親が興味なさそうにマスカラを塗る……というステレオタイプゴテゴテのシーン。このシーンが一番嫌いかもしれない。あおいは年をごまかして働き始めたキャバクラで若社長に見初められて大学に通わせてもらうが、当然のように恋愛関係もセット。奨学金などという概念はこの世界にはない。そして母親の生活保護の通知を受けて母親の元を尋ねるも、彼女は「最後は肝臓をぼろぼろにして」死んでしまったとわかる。全く公的な保障に救われていない。あおいちゃんは小松菜奈であり、周りに菅田将暉斎藤工がいたからたまたま助かっただけで、同じ境遇にある多くの人はこの世界では助からないだろう。この映画、他の女の子も散々な目に遭っている。

社会派のテーマをまるで扱っていないのに、「震災がトラウマで精神的に少しおかしくなってしまった女の子」を少しだけ登場させるのもどうかと思う。二階堂ふみの演技がとても良いだけに、彼女のことが掘り下げられなかったのは残念。

この映画の最後に「子ども食堂」の話が出てくるのもなんとも象徴的。自己責任論が蔓延し公的なサービスはきちんと機能していないので、民間の善意や人々の絆に頼るほかないのが平成の時代です、という映画だったのか。

映画『最高に素晴らしいこと』感想

ネタバレあります。精神的な病の話などに触れているので注意。映画『少女邂逅』の内容にも少し言及しています。


エル・ファニング、ジャスティス・スミス出演『最高に素晴らしいこと』予告編 - Netflix

事故で姉を亡くしたショックからふさぎ込んでいるバイオレット。ある日事故現場に行き、不意に自殺しそうになっていたところをクラスメイトのフィンチに助けられる。フィンチはそれ以来粘り強くバイオレットに話しかけ、一緒に「地元の名所を巡って発表する」という課題に取り組む。最初は冷淡な態度をとっていたバイオレットも、フィンチと心を通わせて付き合うようになる。ところが、フィンチには時々音信不通になり姿を消してしまうくせがあった。彼は幼少期に父から暴行を受けたことなどが原因なのか、情緒不安定で、そうした自分のことを持て余していた。姉やバイオレット、カウンセラーのこともうまく頼ることができず、フィンチはバイオレットとの思い出の場所で自殺。バイオレットはショックを受けながらも、フィンチに助けられたことを感謝するのだった……という話。

ネットフリックスらしからぬ暗さの本作品。フィンチについてもっと時間をかけて描いてほしかったとか、結末が悲しすぎるとか、「姉を亡くしたばかりの彼女を遺して死ぬんかい」とか「アメリカ映画のプレゼンやスピーチで泣かせようとしてくる流れ飽きた」とかいう気持ちはあるものの、心に残る映画だった。

ネットで感想を見ていたら、「バイオレットは姉が亡くなったからわかるけど、フィンチが面倒くさい。親のトラウマがあるようだけど原因がよくわからない。死ぬ必要ある?」といった感想があった。たしかに、フィクションとして完全に割り切って見ればそうした感想も出てくるのかもしれない。しかし、現実に「死んでも仕方ない」と万人が納得するような理由などあるだろうか。そもそも「自殺するほど辛い理由」を身近な人に正確に説明でき、助けを求められる人は生き延びる可能性が高いのではないか。この映画のフィンチは自分の状態をうまく打ち明けられず、バイオレットや姉が不器用ながら助けようとするが心を開けない。そしてある日突然死んでしまう。これはバイオレットから見れば、「自分を助けてくれた人を助けられなかった」という残酷な現実を突きつけられたことにもなる。

しばしばフィクションには、登場人物の言動の論理的な整合性が求められるけれど、現実はそうも行かない。友達や恋人、家族など深い関係になればなるほど、「与えられたぶんだけ与える」ことが難しくなるように思う。また、そうした深い関係の中であまりに「ギブアンドテイク」を意識しすぎるのは、不健全だとも感じる。

この「助けてくれた人を助けられない」という事象については、映画『少女邂逅』を見て以来強く意識するようになったんだっけ。これも切ない映画。

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又吉直樹・武田砂鉄『往復書簡 無目的な思索の応答』感想

この本は、今年読んだ本の中で一番と言っていいくらい(そんなに読書量は多くないが)おもしろく感じて、感想を書きあぐねていた。本には筋書きや内容の面白さのほかに文体の個性などもあり、魅力を伝えるのが難しい。とにかく読んでもらったほうがよいが、私なりの感想を書く。

アマゾンの内容紹介や本のタイトルから伝わってくるとおり、この本には明確なテーマや決まった展開はない。往復書簡の形式にはなっているものの、対話というより、お互いの書簡にヒントを得て思考したことを自由に書いている感じだ。日常の人間関係や創作活動のなかでの違和感や気づきを又吉さん、武田さんが丁寧にすくって言葉にしていく。大袈裟に笑いをとろうとしているところなど一つもないのに、笑える話がいくつもある。
本の中でとくに印象的だったのは、又吉さんが自著に対して納得のいかない批評をした文芸評論家について、「小説の中でしか生きられないお勉強家の評論家」と表現したところだった。この文芸評論家の方は、調べてみるとたしかに「お勉強家」と言われるに相応しい立場にあり、大学教授でもある。私は、学者や専門家をそうでない人と区別し、二項対立的に「勉強ばかりして頭の固い学者のお歴々」と揶揄する表現がとても嫌いだ。気持ちはわからなくもないのだが、その二分法はあまりにも陳腐で、かっこ悪いと思ってしまう。
又吉直樹のヘウレーカ!」などで数々の学者や専門家と関わってきた又吉さんが、上記のような表現をするのは意外だった。又吉さんがふだん学者や専門家の人たちに敬意を持って接しているのを知っていたので、「お勉強家の評論家」という表現に幻滅はしなかった。むしろ、彼がこれまで信じてきたものや表現者としての矜持がそうした強い表現につながったのだろうと感じた。それは、この本で「なにかを表現するうえで信じられることは、自分に発言する場や、文章を書く場が与えられているということだけです。(中略)場が与えられている限り、すべて自分の好きなようにやります。つまらなければ表現する場は奪われるはずですし、そういう世界であってほしいと願っています」と語っている部分にもよく現れている。
そしてまた、又吉さん・武田さんの疑うことを忘れない姿勢が二人のやりとりを良いものにしていると思う。又吉さんは書簡のやりとりをした感想として、「経験や少しの知識で反応するのは仕方ないにしても、その後さらに考えて辿り着いた答えらしきものさえも、まだ疑えるということを改めて教えていただきました」と綴っている。こうした疑いや迷い、答えの出ない状態を厭わない著者のスタンスが、私にはとても心地良かった。