なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

夜を乗り越える

バタバタしていて、数日更新できなかった。久しぶりに友達と沢山お酒を飲んで話す機会があり、楽しかった。当たり前だけど、人の数だけ違った喜びや悲しみ、怒りがあるのだとつくづく感じた。

自殺のニュースを見るたび、ピースの又吉さんの本『夜を乗り越える』を思い出す。

気がふさいでどん底まで落ち込んだ夜を乗り越えるために本が役立ったというエピソードがあった。そして、芥川(太宰だったかも)に、死にたくなったその夜を乗り越えてほしかったと書かれていたと思う。誰かが自殺すると、「なぜ」「前向きな様子も見せていたのに」「皆に愛されていたのに」と言いたくなる。本人以外から見れば生と死の間には大きな隔たりがあるけれど、本人の中では紙一重の判断なんじゃないか。最期の日のはずみによって、死を選ぶような。もちろん積み重なった辛さがあったり、計画的に日付を決めたりする場合もあるだろうけど、それに何らかの「はずみ」が加わって初めて実行に至るのだと思う。
「自分で死ぬ死ぬ言ってる奴は死なない」なんて揶揄はもってのほかで、死んでしまう場合もある。太宰治もそうだ。第一、「死ぬって言って死なない人はただのかまってちゃんだ」と考えること自体がおそろしい。死ぬと言う人は、そんな極端な言い方で助けを求めるぐらい切羽詰まっているんだろうに。そういう状況にある人が、できるだけ多く夜(朝や昼かもしれない)を乗り越えられるようにするには、どんな方法があるんだろう。わからない。