なんの変哲もない日

この田舎の犬は都会で死ぬかもしらん

「夏の匂いは嬉しくて 昔のこととか今の私に関係のないことだよね」

タイトルは、カネコアヤノの「旅行」から。最近この曲が好きでよく聴いている。
今日はアマゾンプライムにある『少女邂逅』をBGM(BGV?)にして作業していて、感傷的な気分になった。映画の話というよりそこから派生した自分の話なのだけど、作品のネタバレを含むので注意。


「少女邂逅」本予告編

何回見ても、つむぎが父親からの性的虐待を親友のミユリに打ち明けられなかったことが歯がゆくてつらい。ミユリもつむぎも高校生ながらかなりつらい経験をして苦しんでいる。
私もこの二人ほどではないけれど、幼いときから10代までの間にいくつかつらい経験があった。幸い20代になってからは、それらの経験をこえるような大事は起こっていない。というより、10代までに起こったつらいことは、大部分が「自分にはどうしようもできないこと」だったからなおのこと嫌な記憶として残っているのだと思う。20代以降のつらい出来事は、しばしば私の選択から起きていたし、たとえそうでないにしても、すでに限界になったら逃げられる程度に私は成長していた。だからたまに思い出しても、「仕方ないな、あのときはつらかったし私も悪いとこあったな、でもなんとか乗り切った」などととらえられる。
10代までに起こったつらいことは、今でもときどきフラッシュバックしたり夢に出てきたりする。実際につらい出来事のまっただなかにいたときは、ただ苦しんでいただけだった。今たまにきついのは、過去のトラウマそのものより、それがなかったように、「普通に育ってきたように」振る舞わなければいけないと思うことだ。
一般的に、過去のつらい経験を感じさせない、口に出さずに明るく生きている人が称賛される。実際にそういう人たちは魅力的だ。私だってそうなりたいと思う。過去のトラウマについて語る人の声にきちんと耳を傾けたいと思いながらも、自分がそういう話をするのは「過去を引きずっている」「かっこ悪い」と感じる。人から「被害者ぶっている」とか「悲劇のヒロイン気取り」と言われるのではという心配もある。第一、自分のした経験は広い社会を見渡せばそれほど過酷でも珍しいものでもないだろうし。でも過去のトラウマは何らかの形で今の行動に影響する。それでも、「昔〜っていうことがあって、……に抵抗あるんだよね」などと正直に言うのは難しい。同情されたくない、普通に育ってきた人と同じようにただ苦手なことがあるだけで、私は過去なんかに引きずられていない、と思いたい。でもどうしようもなく忘れがたい嫌な経験が少なからず今の足かせになっていて、それを誰かに知ってほしい。そんな葛藤を感じなくてすむ人がうらやましいと思うときがある。
でもそんなふうに隠している過去をできるだけ多くの人が話せるようになれば、もっと生きやすい社会になるんだろうな。「普通の人」なんてそもそも幻想みたいなものというか、「変わっている部分が少ない人」に過ぎないと思うし。
なかなか、昔のこととか今の私には関係ないと言えない。でもそれはそれでいいと心から思える日が来たら楽だな。